伊藤プラネット

WORKS

『始まりも終わりもない』(2015)

始まりも終わりもない

人間は生まれ来て死ぬ。 しかし、誕生が始まりであり死が終わりであろうか。客観的に見ればそうかもしれぬ。
しかし、当の本人つまり人間自身にとっては、誕生の時も死の時も認知することはできない。
そう見ると、人間はこの世(界)に<投げ出されている>だけではないだろうか。
<投げ出され、そこに在る>だけではないだろうか。<始まりも終わりもない>のだ。

  



舞踊家 田中泯 × 名匠 伊藤俊也

田中泯と伊藤俊也の出会いは、伊藤俊也監督の名を世界に轟かせた「女囚さそり」シリーズ3部作の後に撮った4作目『犬(いぬ)神(がみ)の悪霊(たたり)』(1977年)にさかのぼる。その作品で前衛的な踊りを披露した田中泯の身体表現に魅了され、それ以来、いつしか田中泯を主演とした自身の劇映画を撮ることをずっと構想し続けた。
そして辿り着いたのは、十万人の死者を出した東京大空襲の日に生をうけた田中泯の人生や自らの戦争体験と重ね合わせた圧倒的なイメージからなる“人間の生と死”についてだった。
そしてここに、究極の課題“人間の存在論”に迫るべく、田中泯の身体表現だけで哲学的、詩的に人間の一生をつづった前人未到の劇映画が誕生した。


セリフはなく田中泯の《舞》のみでつづる画期的な試み!
映画『始まりも終わりもない』は、劇映画でありながら、全編ほとんどセリフによらず舞踊家 田中泯の《舞》でつづられる。人間の声として発されるものは、呻きや叫び、あるいは掛け声、囃し、の類に絞り、物語の運びに音楽と効果音を使うのみである。あまりに安易に使われている言葉を排することで映画の原点である世界共通語を目指ざす。

 

はじめに言葉ありきだ。確かに、人間らしい営みはすべてそこから出発した。だが、二十一世紀も最初の十年が過ぎ去った今、文化・芸術のある種の爛熟ぶりと反比例して蔓延している人々の飢渇感の拠って来たるところは何か。余りに言葉が、或いは言葉だけが弄ばれ消費されていることもその一因ではないだろうか。 はじめに沈黙ありき、と置き換えてみてはどうだろう。たしかに神の世界はそうに違いなかった。人間の世界においても言葉が降りてくるまではそうだった。沈黙を辛うじて裂くものはといえば、それは呻きであり、叫びにすぎなかった。はじめに身体ありき、だった。そして、はじめに行為ありき、だった。 神との交感は、はじめに踊りありき、を人間にもたらした。あらゆる芸能の始まりがここにある。 [監督・ 伊藤俊也]

[出演]
田中 泯

石原 淋
首くくり栲象

牧口元美

飯島大介

田村泰二郎

吉澤健

北澤浩延

平田崑

高田彪我

土岐瑞希

[CREDIT]
製作&脚本&監督:伊藤俊也
プロデューサー:大日方教史
原案:田中泯
撮影:鈴木達夫
音楽:大島ミチル
照明:水野研一
美術:高山登
美術協力:今村力
VFXスーパーヴァイザー:立石勝
編集:只野信也
サウンドデザイン:浦田和治
録音:前田一穂
スチール:平間至
題字:青柳志郎
助監督:茅場和興

キャスティングプロデューサー:小林良二
宣伝プロデューサー:有吉司
製作:伊藤プラネット
共同製作:マジックアワー / 渋谷プロダクション
助成:文化芸術振興費補助金 配給・宣伝:マジックアワー
 
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